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特集・米「6軍球団」が成功するには?-日本人ディレクターが語る「集客術」

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観客も総立ちの『ホームラン・フォー・ライフ』

リーズ・マルキスちゃん

「ホームラン・フォー・ライフ」の主役
リーズ・マルキスちゃん(7歳)

 3回裏が終わると、チームのマスコット「スクーター」に手を引かれ、1人の少女がバックネット裏からフィールドに登場した。両軍のナインが、それぞれ一塁線・三塁線に沿って整列する。そして場内アナウンス。

「レディース・アンド・ジェントルメン。スタテン・アイランド大学病院が皆さまを『ホームラン・フォー・ライフ』のお祝いにご招待いたします」

「ホームラン・フォー・ライフ(人生のホームラン)」は、マイナーリーグのチーム「スタテン・アイランド・ヤンキース(以下SIY)」が試合中に行う、心温まるイベントだ。主役は、重病や大けがを乗り越えて元気を取り戻した子どもたちである。

選手とハイタッチしながらダイヤモンドを一周

 9月1日のナイターでの同イベントでスポットを浴びたのは、7歳のリーズ・マルキスちゃん。今年3月、自転車で転倒して腹部を強打。肝臓から大出血し、同院に運び込まれたときは生存確率50パーセントと診断されたという。大掛かりな手術と10回に及ぶ輸血が行われ、16日間の安静状態の後、リーズちゃんは一命を取りとめた。

スタンディングオベーションで迎える観客席

「皆さまでリーズちゃんの『人生のホームラン』の快挙をたたえてください!」―ひと際大きくなった歓声の中、少女は元気よくダイヤモンドを走りだした。ビジターチームのナインとハイタッチしながら一塁へ。二塁・三塁と回った後、今度は三塁線に並んだホームチームの選手たち一人一人とハイタッチ。そしてリーズちゃんホームインの瞬間、観客のスタンディング・オベーションは最高潮に達した。

スタテン・アイランド・ヤンキース職員
三原卓也さん(右)

「今日のホームラン・フォー・ライフは感動的でしたね。ぼくもウルッときちゃいました」―うれしそうに話したのは、球団の日本人職員で同イベントの担当者、三原卓也さん。満足げな理由はそれだけではない。このイベントは地元紙なども大きく取り上げるため、スポンサーである大学病院が喜ぶのだという。

「お客さまも、スポンサーも、私たち球団側も大満足。ウィンウィンなんですよ」

「6軍」なのに3分の2の試合でチケット完売

 マンハッタン島最南端から出航するスタテン島行きフェリーは、いつも観光客で混み合っている。無料で乗船できるうえ、自由の女神のすぐそばを通り過ぎるからだ。そんな船旅を25分、スタテン島の港に着くと、すぐ右側に見えるのが約7000人収容のスタジアム「Richmond County Bank Ballpark」(75 Richmond Terrace Staten Island)。ここを本拠とするチームが、スタテン・アイランド・ヤンキースである。

マンハッタンの摩天楼を望む"Richmond County Bank Ballpark"

マンハッタンの摩天楼を望む"Richmond County Bank Ballpark"

米プロ野球の各階層とチーム数

米プロ野球の各階層とチーム数

 

 アメリカのプロ野球制度は、いわばピラミッド構造だ。頂点はもちろんメジャーリーグで、アメリカンとナショナルの両リーグに計30球団。以下「トリプルA」「ダブルA」から最下層の「ルーキー」まで7つの階層があり、まとめて「マイナーリーグ」と呼ばれている。チーム数は合わせて、実に242を数える。

 SIYはその名が表す通り、イチロー選手や黒田博樹投手を擁する名門チーム「ニューヨーク・ヤンキース」の傘下だ。レベルとしては「クラスAショートシーズン」で、メジャー予備軍のトリプルAが「2軍」だとしたら、「6軍」に当たる。6月半ば~9月上旬まで3カ月足らずのシーズン中に76試合を戦い、うち半分の38試合がホームゲームだ。

チアリーダー

「6軍」だから、メジャーリーガーの卵ならいるかもしれないが、有名選手はチームに1人もいない。それなのにSIYは、ホームゲーム38試合のうち25試合でチケット完売という記録を、昨年まで3シーズン連続で成し遂げている。スポーツビジネスとしての確かな実績を上げている球団なのだ。

成功の鍵は、どこにあるのか。三原さんは言う。

「アメリカには、『野球は家族の娯楽』という文化があります。それを『地域密着で』『選手の近くで』『お手頃価格で』提供するということです」

「スタジアムに行ったら楽しい」と思わせる

インターンとして球団運営を学び、その後正社員に

インターンとして球団運営を学び、その後正社員に

 三原さんは、スポーツとは切っても切り離せない日々を送ってきた。アメリカで幼少期を過ごし、中学から高校にかけて単身でカナダへアイスホッケー留学。日本の大学を卒業後、「スポーツにかかわる仕事がしたい」と再度渡米して、学生時代の先輩のつてでSIYのインターンとなった。その頃は、マスコットのぬいぐるみを着て飛び回ったりすることまであったそうだ。

ショータイム

 やがてSIYの正社員となった三原さんのビジネス観に大きな影響を与えたのが、「マンダレー・ベースボール・プロパティ」社との出合いだった。ビジネス界のバイブルと言われる「エスキモーに氷を売る」の著者、ジョン・スポールストラさん率いる同社は、2007年からSIYの運営会社となり、卓越した経営手腕で、それまで赤字だった球団の黒字転換に成功。三原さんも同社の幹部から、スポーツビジネスの基礎をたたきこまれたという。

「ファンはマイナーの試合に、勝ち負けを見に来ません。熱狂的なファン以外は、選手の名前も知りませんから。野球で観客を集めるのではなく、『スタジアムに行ったら楽しいことがある』と思っていただくことが大切なんです」

イニング間イベント、スイートルーム…

"Sack Race"

"Sack Race"

 かくしてSIYのホームゲームは、野球とは直接関係のないショーに満ちあふれている。ほぼ全てのイニングの合間に、フィールド上で何らかのイベントが繰り広げられるのだ。

 この日の試合で行われたものでは、例えば20人ほどの子どもが参加した「サック・レース」。全員サック(ずだ袋)を両足にはき、ピョンピョンはねながら、ホームベースと三塁の間を往復し、順位を競う。スタンドからは大歓声。

キッズコーナー

キッズコーナー

「Tシャツ・トス」。グラウンドから球団マスコットのスクーターやチアガールたちが、客席に向かって丸めたTシャツを投げ込む。スタンドからは「こっちに投げて!」の大合唱。

 客席の隅には、お楽しみアトラクションも設けられている。左翼裏のキッズコーナー。試合も徐々に盛り上がりつつある5回表に様子を見に行くと、数十人の子どもたちが、観戦そっちのけでバスケットボールや的当てゲームを楽しんでいた。「子どもは3時間も座ったまま、野球を見ていられない」という考えに基づいた工夫である。

"70's Dance Contest"

"70's Dance Contest"

 イニング間のイベントでは、大人たちも負けていない。大きな馬のぬいぐるみにまたがった大の男たちが、一塁ベースまで速さを競うレースや、かつらをかぶり、懐かしのメロディーに合わせて踊る「70年代ダンスコンテスト」など。参加するのは芸人でも何でもなく、一般のファンたちだ。日本人なら気恥ずかしくて、しらふではとてもできないようなことでも、アメリカ人は人前で臆面もなくやってのける。だからこそ成り立つイベントだ。

 チケットにも「お得感」がある。中でも人気が高いのは、「飲食付き22ドル」のプラン。ホットドッグやハンバーガーなどの軽食とスナック、炭酸飲料などが食べ放題・飲み放題になるというもので、この日もフードを配るワゴンには、試合中というのに行列ができていた。

スイートルーム(ガラス張りの部屋)

スイートルーム(ガラス張りの部屋)

 そして球団自慢の設備が、スタジアムに19室ある「スイートルーム」。エアコン・テレビ完備の部屋と、試合を間近に観戦できる座席付きバルコニーがセットになっていて、ケータリングサービス込みで1試合当たり1000ドルだ。20人まで入室可能なため、1人当たり50ドルで食事をしながら野球観戦を楽しめる。

ウーさん一家

家族のお祝いで観戦に来たウーさん一家

「私たちはヤンキースが大好きなの」と話すのは、この日スイートルームで観戦していたシェリル・ウーさん。自身の39回目の結婚記念日と娘の30歳の誕生日のお祝いで、家族3世代20人が集まった。ウーさんは言う。「家族の特別な日っていうのは、野球を見てお祝いするものよ」

次のステップへ…

 0対3で迎えた9回裏、SIYは2点を返したが、あと一歩及ばなかった。ゲームセット。22時近い時刻だが、誰も客席を立たない。そして場内が暗くなった。

マンハッタンの夜景をバックに花火が上がる

マンハッタンの夜景をバックに花火が上がる

 ヒューッ、ドドーン。

 外野フェンスの裏側から、花火が上がる。毎週木曜~土曜と祝日のナイター終了後に、約15分にわたって続くSIYの名物。最後の最後までファンに楽しんでもらうための工夫だ。

 9月上旬にはシーズンが閉幕し、結果を出した選手は、より上のリーグへと移って行く。「6軍」のSIYに2年以上籍を置く者はいない。ニューヨーク・ヤンキースの強打者ロビンソン・カノ選手も、俊足の外野手ブレット・ガードナー選手も皆、このチームから巣立っていった。メジャーリーガーという夢を追う若者にとって、ここはステップアップの1段階にすぎないのだ。

 そして三原さんも、次のステップへと進むことになった。5年間働いたSIYを9月半ばに退職、スポーツ関連のマーケティングや選手のマネージメントなどを手がける専門企業に移る。三原さんにも、選手たちと同じように追いかけている夢があるのだ。

「いつか日米の懸け橋となるような、スポーツビジネスの仕事がしたいですね」

取材・文: 小林 亮太(BK Nexent, Inc)

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