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特集・ハイライン公園――マンハッタン空中散歩

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ハイライン
ハイラインの地図

ハイラインの地図 ©thehighline.org

 ハイラインは、かつての高架貨物鉄道の線路跡地を再生して、100種類以上の草花や低木を植え、地上9メートル、ビルの3階ほどの高さからの眺めを楽しめる散策路とした、これまでにない公園だ。世界的にもやはり全長3マイルの高架鉄道線路を再利用したパリの「Promenade Plantee」に次いで2例目となる。

 ビルの間を縫う、いわば新しい公園通りの出現が引き金となって、ハイラインに隣接する一帯には、高級コンドミニアムやホテル、ブティックやレストランなどのリテール・スペースが続々と出現している。今年最もホットなスポットとして脚光を浴びそうだ。

打ち捨てられた歴史遺産

1911年頃のデス・アベニュー
©The Library of Congress

 高架貨物鉄道は、ダウンタウン・ウエスト地区が食品、繊維など製造業の一大中心地だった時代の産物だ。この地域はミートパッキング(食肉加工卸売業)・エリアという通称が残っていることから推察されるように、特に食肉加工を中心に、乳製品、菓子などの食品製造業が繁栄していた。 19世紀後半以降、急増した移民の食料品需要に対して輸送力不足が問題化し、10番街の路面鉄道を貨物輸送に利用するようになったのだが、運行が増えるにつれて10番街が「デス・アベニュー」と呼ばれるほど事故が多発するようになり、高架線路の建設が求められて、1929年にようやく貨物専用の高架鉄道として建設が決まった。

 1934年に完成した鉄道線路は、工場や倉庫の間、時には建物の中を突っ切って、北は現在リンカーン・トンネルのあるミッドタウン・ウエストの34丁目から南はホランド・トンネル入口近くのハドソン川埠頭(ふとう)まで延び、対岸のニュージャージー州やニューヨーク州郊外から仕入れて加工した肉類や乳製品を中心に近隣の消費者に送り込んできた。

高架線が稼働していた頃

高架線が稼働していた頃
©James Shaughnessy,1953

 しかし、せっかく開通した高架鉄道の命は短かった。第二次大戦後の本格的な車社会の到来によって、 50年代から高架鉄道は次第にトラック輸送に物流の主役の座を奪われるようになり、同時にマンハッタンの製造業も衰退していく。鉄道はついに1980年、廃棄され、以後打ち捨てられてきたのである。

 立ち入り禁止となった跡地にはいつの間にか線路が隠れるほど雑草が生え、花が咲いて蝶が飛び交うようになる。一方、陽の当たらない線路下は、ニューヨークの治安が最も悪化するこの時期に犯罪の温床として荒廃が進んだ。昼の間は多くがトラックなどの駐車場として使われるようになったが、夜になると人通りがなくなる一帯では、麻薬売買、売春、賭博が横行し、一部ではゴミが不法投棄され、あるいは浮浪者が住み着いた。殺人事件の犠牲者が年間 2,000人以上という最悪の時代にあって、ハイライン周辺は最悪の場所の一つだった。1994年に治安回復と開発による街の浄化、高級化を目指すジュリアーニ市長が就任すると、鉄道跡地は2000年までに取り壊すことを前提に開発のための環境調査が始められることになった。

「Friends of the High Line」

 事実上取り壊しの手続きが進む一方で、高架線路の存続を訴える運動も始まった。今考えれば先見の明を持つ少数の人々によって、「Friends of the High Line」が結成されたのである。公園化のアイデアを持つ彼らは、寄付金集めのパーティーを開催し、独自の設計プランを作成するようになった。メディアも早くからグループの活動を好意的に取り上げ、市長選出馬を狙うマイク・ブルームバーグ氏や大統領選出馬を目指すヒラリー・クリントン上院議員をはじめ、政治家たちも注目度の高い公園化運動の積極的支持者となった。そして2002年、ブルームバーグ市長が就任するとすぐに、市は取り壊しの方針を撤回、「Friends of the High Line」と連携して公園建設計画進めることになったのである。

ハイライン建設計画デザイン画

ハイライン建設計画デザイン画
Design by James Corner Field Operations and Diller Scofidio + Renfro ©the City of New York

 流れを変えた「Friends of the High Line」が絶大な影響力を持ち得たのは、富豪、文化人、芸能界のスターなど各界有名人の支持を得ていたからだ。「Friends of the High Line」主催のパーティーや記者会見には映画スターのエドワード・ノートンやケビン・ベーコン、スーザン・サランドン、デザイナーのダイアン・フォン・ファステンバーグ、ラルフ・ローレン、ロック・スターのデビッド・ボウイら、環境保護に関心の高いことで知られる多くの有名人が姿を見せ、運動の広告塔役を買って出た。運動は彼らのネットワークを最大限利用し、支持者と資金、メディアの注目を集めることができたのである。

工事着工前のハイライン
Joel Sternfeld © 2000

 この「歴史遺産」がとりわけ有名人スターのお気に入りとなったのには訳がある。ちょうど「Friends of the High Line」の運動が始まるころに起こっていた、このエリアへの画廊の大移動と、それに続く「ソーホー化」現象である。

 ニューヨークの画廊は、以前は現代美術がソーホー地区、古美術や古典、有名作家作品はマディソン・アベニューと棲み分けがされていたが、ソーホーの家賃高騰とより広いスペースを求める新興業者の台頭によって、チェルシー地区を中心にしたウエストサイドの旧工場・倉庫街に画廊が増え始め、今では200軒以上あるといわれるまでになっている。

 工場・倉庫街だったソーホーに住み着く若いアーティストに注目した画商がソーホーに店を開いて新しい美術の潮流を生み出し、人を呼んで、その結果、有名ブランドのブティックが並ぶファッションの街、ソーホーが誕生したように、ウエストサイドの旧工場・倉庫街への画廊の大移動が契機になって、街が一変したのである。移動した画廊のほとんどは無名のアーティスト発掘に力を入れ、多くのイベントを開催した。

高架下の通り

アートやファッション、まだ人に知られていない隠れスポットに敏感な若者が集まるようになると、周辺にバー、レストラン、クラブ、ブティックなどの出店が続く。危険な匂いの残る空きビルの所々に夜になるとにぎわうホットスポットが生まれ、流行の最先端にいなければならないスターが出没するようになる。かくしてハイライン一帯は荒廃と流行の先端が混在するファッショナブルなエリアに変ぼうしたのである。

 使われなくなった高架鉄道線路が放置されていたような、いわば見捨てられた地区がギャラリー流入のおかげで活性化し、セレブと呼ばれる有名人をはじめファッショナブルな人々が集まるようになり、高架鉄道線路はそうした人々の目に留まって、打ち捨てられた邪魔な存在が「面白い場所」に変わったのである。

ハイラインの見所

高架鉄道時代の線路と遊歩道

高架鉄道時代の線路と遊歩道

 こうした経緯から、跡地公園建設は 2006年4月に着工した。南から約半マイルずつ3段階に分けて進められる工事は、昨年6月に第1段階のオープンにこぎ着けた。オープンしたのは最初の半マイル、南端の出入口である9番街と10番街の間のGansevoort St.から北上し、17丁目で10番街を横断して11番街との間を20丁目まで延びる9ブロック分だ。出入口はGansevoort St.と14丁目、16丁目、18丁目、20丁目に設置されている。

ビルの間を抜けていく

ビルの間を抜けていく

 現在オープンしている部分は、歩いてみるとわずか 10分程度の短い距離だが、幅の制約の中で建築家や景観デザイナーの集団が、訪問者を楽しませるために実にさまざまな努力をしていることが感じられる。ハイライン設計デザインのテーマは「Melancholy and Solitude哀愁と孤独」。工業地域の中を縫うように走り商品輸送路として機能してきたハイラインの歴史を残し、また荒廃の90年代に自然の力で繁茂していた野草の面影を残すことが配慮された。保存された線路や100種類もの植物の間に延びるコンクリートむき出しの道の傍らにはベンチやラウンジチェア、噴水が散在する。

冬に咲く花

 新しいから当然といえば当然だが、植物も通路もベンチも、実にきれいに管理されている。ニューヨーク市当局が、使い過ぎと文句が出るほど金をかけているのである。当初総工費 1億3,000万ドル(約117億円)だった予算は経費削減でサービスの低下が問題になっている公園局のプロジェクトの中で異例の高額だったが、それも現在では予算をオーバーして、1億7,000万ドル(約153億円)を超えると見込まれている。

遠くには自由の女神

遠くには自由の女神

 年間維持費でもハイラインは群を抜いており、市内の公園の年間維持費が1エーカー(約4千平方メートル)当たり9,555ドルであるのに対して、ハイラインは実にその70倍の67万1,641ドルもかかっている。セントラル・パークでも3万2,142ドルだから、市当局が新たな観光資源としてハイラインをいかに重視しているかが分かる。

沈む夕陽

沈む夕陽

 ともかく、これまでになかった視界から得られるマンハッタンの風景は予想以上に素晴らしいものだった。散在する線路と枕木が、おびただしい量の植物の合間に現れては消える散策路を歩き進むにつれ、ここがかつては高架鉄道で、工場や倉庫街であったころのダウンタウンのビルの合間を通り、食料品を運んでいた運転士らも、きっとこの鉄道からの眺めを楽しんでいたであろうことを思わずにいられない。

 ここからは、公開されている部分のハイラインの見どころを紹介しよう。公園は午前 7時から夜8時まで(夏季は10時まで)開放されている。今秋には30丁目までの第2区画が一般開放され、空中公園の散策路は2倍に延びる予定だ。

Gansevoort Plaza

石畳のGanservoort Street

石畳のGanservoort Street

 Gansevoort St.とWashington St.の角に位置するハイラインの入口。途中で切れているのはここからさらに南へ約半マイル、ビレッジ南端部の埠頭まで延びていた線路が公園化計画決定以前に取壊されていたためだ。入口はストリート・レベルの広場から傾斜の緩い階段で高架橋に上がる。ワシントン・ストリート沿いには新しくオープンしたレストランや高級ブティックが並び、通りの反対側にはハイラインのスタート地点と接する形で全面ガラス張りの建物が目を引くが、ここにはアメリカ近・現代美術の殿堂として有名なホイットニー美術館の新館建設が決まっている。

Standard Hotel

Standard Hotel

Standard Hotel

 1999年にレオナルド・デカプリオやキャメロン・ディアスなどの出資を得てハリウッドに開業して以来、これまでにロサンゼルス、マイアミと3軒のブティック・ホテル「Standard Hotel」をオープンしているホテル業界の寵児Andre Balazs氏が12丁目と13丁目の間に今年オープンしたハイラインで最初のホテルである。特徴は何と言っても高さ18メートルの2本のコンクリート柱でハイラインをまたいでその上に20階建てのビルが載る構造だ。中心で若干内側に折れた横に広いガラス板のような外観がハドソン川沿いのウエストハイウエー近くまで広がって、南端の入口を上がるとすぐ目の前に立ちはだかるように感じる。全室床から天井までの全面ガラス窓設置でどの部屋からもハイラインとハドソン川の眺望が得られる。宿泊料は195ドルからと、マンハッタンでは安めの設定になっている。

High Line Building

High Line Building

High Line Building

 スタンダード・ホテルをくぐりぬけると、すぐにもう一つハイラインをまたいでいる真新しいビルが見える。ランドマーク(歴史的建造物)指定された5階建ての旧食肉倉庫を改築した 15階建てオフィスビル「High Line Building」だ。現在工事中だが完成時には、旧倉庫の外観をそのまま残したベース部分の上に10階分の総ガラス張りのオフィスタワーができる。商品の搬出入のために倉庫の内部を高架鉄道が通っていた当時そのままに公園がビルの中を突っ切る構造になっていて離れたところからも人目を引く。約7,250平方メートルのオフィス・スペースはハイラインの名物的存在としての注目度が加味されてか、家賃が高めだが、すでに高級ブランドの「ヘルムート・ラング」が2フロアを契約するなど、好調のようだ。

 約7メートルという天井の高さが自慢の1階はリテール・スペースで、ハイライン訪問者をあてこんだブランドショップなどが入店する。

14丁目入口とサンデッキ

沈む夕陽を眺める

沈む夕陽を眺める

 緩い階段と階段を使えない人向けのエレベーターが設置されたハイラインのメーン・エントランス。 14丁目から15丁目にかけて遮るもののないハドソン川の展望が広がるサンデッキには、沈む夕日の眺めが楽しめるように西に向かってベンチが並び、通路の一部は流水に洗われて素足で歩けるようになっている。

チェルシー・マーケット 通路

チェルシーマーケット

チェルシーマーケット

 9番街と10番街の間、15丁目と16丁目の間の1ブロックを占めるチェルシー・マーケットは、旧ナビスコ・ビスケット工場跡で、日本でも有名なチョコレート・クッキー「オレオ」は1912年にここで初めて作られた。現在は9番街から10番街にかけて東西に走る通路の両側に食料品店やレストランが約20店並ぶ「フード・コンコース」としてニューヨーカーに親しまれ、土産を探す観光客にも人気のスポットとなっている。ビル内のオフィス・スペースには地元テレビ局や料理専門テレビ局が入居しており、マーケット内に公開収録用の制作スタジオがあるので、運が良ければ番組収録の様子を見ることができる。

 ハイラインが「チェルシー・マーケット」を通過する場所は、洞窟(どうくつ)のようなアート・スペースとして利用されている。

10th Avenue Square

10番街を見渡す展望デッキ

 16丁目から17丁目にかけてハイラインは10番街を横切るが、この辺りが最も幅が広い場所で、階段状の展望席が用意され、大きなガラス窓を通して10番街が展望できるようになっている。14丁目のサンデッキと並んで格好の休憩スポットになっている。

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